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ロータリーとは

 このページは、ロータリークラブとは何かご存じない方、ロータリークラブの概要を知りたいと思っている方のためのページです。
 ロータリークラブをもっと詳しく知りたい方は、このページをご覧になった後、ロータリージャパンのホームページをご覧ください。
 皆野・長瀞ロータリークラブでは、以前、広報活動の一環として壁新聞「ロータリーの風」を発行しました。この壁新聞は、当クラブの活動事例とともにロータリークラブの基礎的事項も紹介しています。下記の画像または号数をクリックしてご一読ください。

 ロータリーの風 

   創刊号   第2号  第3号
    第4号   第5号  第6号 
   第7号   第8号  第9号

 ロータリークラブとは

 ロータリークラブは人道的奉仕を行い、あらゆる職業において高度の道徳的基準を守ることを奨励し、かつ世界における親善と平和の確立に寄与することを目指した実業人および専門職業人が世界的に結びあった団体です。

 ロータリーの誕生とその成長

 20世紀初頭のシカゴの街は、著しい社会経済の発展の陰で、商業道徳の欠如が目につくようになっていました。
 ちょうどそのころ、ここに事務所を構えていた青年弁護士ポール・ハリスはこの風潮に堪えかね、友人3人と語らって、お互いに信頼のできる公正な取引をし、仕事上の付き合いがそのまま親友関係にまで発展するような仲間を増やしたい、という趣旨でロータリークラブという会合を考えました。ロータリーとは、集会を各自の事務所持ち回りで順番に開くことから名付けられたものです。
 こうして1905年2月23日にシカゴロータリークラブが誕生しました。
 それからは、志を同じくするクラブが、つぎつぎ各地に生まれて、国境を超え、今では200以上の国と地域に広がり、クラブ数34,558、会員総数1,220,115人(2014年10月1日RI公式発表)に達しています。
 そして、これら世界中のクラブの連合体を国際ロータリーと称します。
 このように、歴史的に見ても、ロータリーとは職業倫理を重んずる実業人、専門職業人の集まりなのです。その組織が地球の隅々にまで拡大するにつれて、ロータリーは世界に眼を開いて、幅広い奉仕活動を求められるようになり、現在は多方面にわたって多大の貢献をしています。

   

 日本のロータリーの歩み

 わが国最初のロータリークラブは、1920(大正9)年10月20日に創立された東京ロータリークラブで、翌1921年4月1日に、世界で855番目のクラブとして、国際ロータリーに加盟が承認されました。
 日本でのロータリークラブ設立については、ポール・ハリスの片腕としてロータリーの組織をつくり、海外拡大に情熱的に取り組んだ初代事務総長チェスリー・ペリーと、創立の準備に奔走した米山梅吉、福島喜三次などの先達の功を忘れることができません。
 その後、日本のロータリーは、第2次世界大戦の波に洗われて、1940年に国際ロータリーから脱退します。戦後1949年3月になって、再び復帰加盟しますが、この時、復帰に尽力してくれたのが国際ロータリーの第3代事務総長ジョージ・ミーンズでした。
 その後の日本におけるロータリーの拡大発展は目覚ましいものがあります。ロータリー財団への貢献も抜群で、今や国際ロータリーにおける日本の地位は不動のものになりました。現在、日本全体でのクラブ数は2,277、会員数88,806人(2015年1月末現在)となっています。


 ロータリークラブの例会では、四つのテストを唱和し、ロータリー・ソング「奉仕の理想」を斉唱しています。これらは、ロータリアンの心を端的に表しているので、ロータリークラブを理解するのに有効です。

 四つのテスト

 職業人としてのロータリアンの心構えを、ロータリアンのみならず一般の職業人にも理解できるように、簡潔かつ的確にまとめたものが「四つのテスト」です。
 ハーバート・テーラーは、倒産に瀕していたクラブ・アルミニウム社の社長に就任し正しい営業活動を行えば必ず会社が再建できると考え、「四つのテスト」を示しました。同社の業績は改善を続け、5年後には借金は完済、15年後には株主に多額の配当金を分配するまでになりました。1954年、彼が国際ロータリーRI会長に就任したとき、その版権がロータリーに寄付されました。
 四つのテストは世界各国の言葉で翻訳され、広く活用されています。

 四つのテスト

 言行はこれに照らしてから
   1.真実か どうか
   2.みんなに公平か
   3.好意と友情を深めるか
   4.みんなのためになるか どうか


 ロータリー・ソング   ♪♪

 日本最初のロータリークラブは、1920年創立の東京ロータリークラブですが、初めのころは「ロータリー・ソング」として英語のまま歌っていました。当初はアメリカ人会員E.D.バートンが会員に歌を歌わせようとして指導したものの、皆「児戯に類する……」として乗り気でなかったようです。彼の努力は1926年ころになってようやく認められ、1927年のインターシティー・ミーティング(近隣数クラブが集まって行われる会合)のときには、会議中にも会議後の観光バスの中でも、会員の家族が中心となってロータリー・ソングが歌われ、会員もやっと、歌うことが親睦の源であると理解した、と東京ロータリークラブの記録にあるそうです。
 やがて、日本語によるロータリー・ソングを求める声が高まり、「奉仕の理想」や「我等の生業」が1935(昭和10)年、京都における地区大会で、日本語ロータリー・ソング入選作として発表されました。
 こうして、例会で歌を歌うことが習慣となり、この習慣はアメリカの多くのクラブに波及し、今日では、オーストラリア、日本、ナイジェリア、ニュージーランド、カナダなどのさまざまな国の例会におけるポピュラーな親睦行事となっています。

 奉仕の理想

    作詞 前田和一郎(元京都RC)
    作曲 萩原英一(元東京RC)

 奉仕の理想に 集いし友よ
 御国に捧げん 我等の業(なりわい)
 望むは世界の 久遠の平和
 めぐる歯車 いや輝きて
 永久に栄えよ 我等のロータリー
            ロータリー


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